高野山へ登る道には7つの口があるという。
かつて京・大坂から高野山への参詣道として用いられた街道が、「東高野街道」「中高野街道」「下高野街道」「西高野街道」で、 河内長野まできて、高野街道に接続し橋本まで来た。 橋本から高野山まではメインルートとして「町石道」「京・大阪道」「三谷坂(勅使坂)」と呼ばれる道が ある。しかし、京・大坂からの人ばかりが高野山に登るのではない。そのため七口があり、街道が通じていた。
■不動坂口-高野街道京大坂道(−橋本−紀見峠−河内長野)
東高野街道(-河内長野-八幡)
中高野街道(-河内長野-平野)
下高野街道(-河内長野-四天王寺)
西高野街道(-河内長野-堺)
■大門口-町石道(ー矢立-慈尊院)
三谷坂(勅使坂)(町石道-丹生都比売神社-三谷-妙寺)
西国街道麻生津道(町石道-矢立-市峠ー麻生津峠-名手高野辻)
■龍神口ー有田・龍神道
有田道(ー花園-有田)
龍神道(-花園ー龍神-中辺路)
■相ノ浦口-相ノ浦道(-相ノ浦)
■大滝口-小辺路(-薄峠-伯母子峠-三浦峠-果無峠-熊野本宮)
■大峰口-大峰道(-天狗木峠ー阪本-川合-洞川)
■黒河口-黒河道(-子継峠or黒河峠-北又-市平-明星ヶ田和-橋本)
ひうら坂(−子継峠(粉撞峠)ー黒河村)
七口から山内はかつては女人禁制だったため、それぞれに女性がこもって読経する女人堂が置かれ、周回して結び女人道があった。女人道で現存するのは不動坂口のみとなっている。
■参考資料
和歌山県発行マップ
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/130300/nanakuchi.html
高野七口再生保存会
http://www.kouyananakuchi.jp/%E9%AB%98%E9%87%8E%E4%B8%83%E5%8F%A3%E3%81%AE%E7%B4%B9%E4%BB%8B/
2015年ころからは山登りに振っているので「街道あるき」としては休止中であるが、おいおい延ばしていこうと思う。
家の近くで散歩によく出るが、知らず知らずのうちに見覚えのある道に入ってしまう。何かと思ったら、それは東高野街道なのだった。人を惹きつける何かがある道。
山根街道を歩く 2013/9/17
京都から高野山への参詣道は東高野街道が有名ですが、少し東の山側にある山根街道も同じように使われたのではないか。少々遠回りになるが、「古い村々があるっちゅうし、なんぞうまいもんでもあらへんかな」という輩もおったでしょう。ということで。「高野みち」に入れました。
高野街道 2009/4-5
京・大坂からの街道は河内長野で高野街道に接続する。街を離れてからの山間の街道沿いは古いものがしっかり残ってなかなかの風情があり、何度でも歩いてみたい道であった。
さっそく2回めの高野街道を天見から御幸辻へ。前回から2年しか経っていないのに、いろいろなところで変化があった。なんだか名残惜しいような・・・
世界遺産追加登録の前夜祭?とて、歩いてみた。時間の関係もあり久保田和から子継道を採った。ちょっと暗い樹林もあるが歩きよい道が続いていた。生活の匂いのある道。
旧黒河村の人々が高野山に仕事や買い物に行った生活道という。その道はボランティアの整備もあるようで、伐採地では消えていたが、歩きやすい道が続いていた。
黒河道で、子継道を通らないもうひとつの黒河峠越えの道を歩いてみた(降ってみた)。こんな急斜面に村があったとは!高野山の造成やメンテをしていた人々が住んでいたという。
小辺路を通しで歩くつもりだったが、大滝への下りで異変。さらに、大股への下りで今まで未経験の足絶不調。茅小屋への登りでビバーグのうえ撤退。高野龍神スカイライン以外は歩いて楽しい道なのだが・・・