「葛城二十八宿経塚巡行」を歩く

 

  葛城二十八宿経塚は、役小角が法華経八巻二十八品を埋納したとされる経塚を言い、友ヶ島から和泉山脈、金剛、葛城、二上山を経て大和川の亀の瀬に至る葛城山脈(そもそも、この長大な山脈が葛城山脈、あるいは葛城山であった)に点在する修験道の聖地である。もっとも、役小角自身が法華経八巻二十八品を埋納したのでなく、山岳修験道の発展にしたがって、後世に埋納された、さらにその経塚をひとつながりの行場として葛城修験は形成されていったという文献もあったが、いずれにせよ、葛城修験道の聖地だ。

  さて、役行者の修行・活躍の場は、葛城山脈だけでなく、近畿一円(本州一円にも?)渡っている。近郊の山登りをしていると、あちこちで役行者像が祀られている。おそらくお地蔵さんについで多いのではないか。
 ボクは修験道の信者でも行者でもないが、役行者は子供のころから身近にあった。集落の奥には神南備型をした行者山というのがあったし、近くの山に登ると役行者の祠もあった。お隣のおじいさんが(多分)行者で、何かあるごとに行者装束をしていたし、村では、多分「大峰講」があったと思うのだが、年に何回かは持ち回りで講の寄り合いがあって、酒を飲んだりしていた。ザンゲ-ザンゲ-ロッコンショウジョー・・・・というのもしょっちゅう聞いていたし、法螺貝も一度吹かせてもらったことがある。スカスカで音は出なかったが・・・
 そういう環境でもあり、信者ではないがそのスピリットにはひかれるものがあったし、今もある。大学に入って山登りを趣味にしたのも、深層では役行者の影響、それ以前の山岳信仰への希求があったのではないかと思う。信仰心はあまりないので、山岳修行(もどき)への関心と言っておこう。信仰心はなくとも、経塚をつないで歩くというのは修行だ。修行というのはちょっとおこがましいが、経塚をつないで歩くというのは貴重な体験になった。

 

 

■2巡目
 今回から葛城二十八宿経塚巡行2順目を行います。1巡目で経塚はもちろん行所もほぼカバーできたと思っていたら、最近のYAMAP日記を読ませてもらうとまだまだ見落としがあるのが分かったのです。2巡目は、その見落とし部分を中心に回りたいと思います。

日付 テーマ 参拝経塚
2024/1/17 日野・光福寺行所から二十八宿第2経塚への最短ルート 第二経塚 神福寺跡方便品
2021/10/30 深山回りで道草しながら日野行所への道探索 第二経塚 神福寺跡 方便品
2021/10/21 龍胴塚から中葛城山西鞍部への古道探索 第十九経塚 神福山 法師功徳品

 

 

■1巡目まとめページ

厳密な巡行道はわからないが、可能な限り文献にある道を歩いた。経塚つまみ食いでなく、コマ切れのルートであっても、つながりのあるようにした。
 経塚、行所は修験のシンボルでそのシンボルに苦労の末に到達し、お参りする喜びは行者さんのもので、ボクのような素人には、少しはあるにせよ希薄である。しかし、今の時代、道中に難所は全くといいほどないにせよ、人里離れた山道を歩くことで、道々の自然を、花鳥風月を愛で、楽しむことができた。それだけでなく、人々の生活をみたり、荒れつつある自然の行く末を見つつ、考える、これが巡行の意味するところであると思った次第である。