淀川水系を歩きます。今住んでいるところが淀川水系-天野川流域なので。元来は、由良川流域の人間なので「由良川をあるく」というのをやりたいのですが、ちょっと難儀なもので・・・淀川だって全部の流域を歩くのは難儀で、特に湖北・湖東の川、木津川の中・上流域は訪れていません。安曇川、桂川、鴨川の水源は訪れていますが、しかし流域を全部歩くなんてのは無理です。
そういえば、ボクの初めてのブログが2005/5/5「淀川ウォーク(中津-八幡)」でした。4日に歩いて、5日に夜にスタート。05/05/05をねらいました。
■川へのあこがれ
さて、なぜ川に着目したのか。子供のころはイナカで育ちましたが、「川」といえるほどの流れが身近になかった。もちろん1m未満で川らしい流れは家の前にありました。芋などの野菜を洗ったり、洗濯をしたり、庭の水まきをしたり、田畑の用水であったり、小さいながら大活躍でした。魚釣りもでき、フナはもちろんオイカワも釣れました(モトなどと言っていましたが)。大雨の後バドはなどにはオイカワが群れをなして溯上してきました。少し下流に行くとちょっとした渕があって、コイやナマズもいまして、カイドリで大漁になったこともある。それも中学くらいまでて、以後は魚が激減しました。さらに今圃場整備が進んで、川もコンクリ護岸の水路になってしまいました。
二重の喪失感。ボクの知っている川は、山間の清流や大河でなかったという喪失感。さらに、その川さえも水路になってしまった喪失感。これが契機となって、「川」へのあこがれみたいなものがあります。谷あいの清流または四万十川のような母なる川。こういう川と遊んでみたい。
■川への恐れ
峠一つ越えると由良川が流れています。通常のイメージは四万十川のようにゆったりと流れる川です。しかし、時々はキバをむく。今も回数は減りましたが、キバをむくことがあります。
小学校のころ、多分伊勢湾台風のときだと思いますが、由良川が氾濫しているというので、年上のガキ連中が見に行くというので、パーティを組んで見に行きました。多分、親も上級生が同行するというので許してくれたと思います。
峠を越えて谷の結構深いところまで水が浸いた形跡がありました。有路小学校へは通常の道は冠水していたので、途中で、畑の斜面をよじ登って回り道をしました。
由良川・大雲橋の袂までくると・・・・橋はなく、橋げたのコンクリが傾いて濁流に現れていました。普通川幅が数十メートルくらいですが、その時は400mくらいになっていたでしょうか?対岸まで濁流がいっぱいに拡がってすごい勢いで流れていきました。どこからか小屋が流れていきました。
これは恐怖だった。さすがにガキどもも唖然として、誰ひとりしゃべりません。皆、大河というのを知らない者ばかりです。帰宅するまで黙っていたように思います。
こういう経験があるので、あこがれと同時に恐れもある。谷を詰めて峠を越える山行スタイルや、山間の清流や源流志向はここから来ていますし、治水や水害を元に歩く記事が多いというのも、ここから来ています。
今まで歩いた川を一覧表にして、ブログ記事(一部は本サイトのページ)とリンクさせました。
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